もう一つの「王将」
「王将」と名の付く、餃子のおいしい中華料理店といえば「餃子の王将」こと京都王将と、「大阪王将」だろう。
だがもう一つの「王将」がここにあることはご存じだろうか。
その店は「餃子の鹿児島王将」という。
天文館の電停を降りて徒歩1分。ちょっと裏の路地にこの店はある。
餃子の鹿児島王将 中町店。ここが鹿児島王将の1号店だ。
関西と関東で生活した自分にとって、餃子の王将の看板は幼少の頃から今に至るまで見慣れたものである。あのフォント、あの色、全てがあの餃子の味を連想させるくらいの刷り込みがある。
鹿児島まではるばる来て目にした鹿児島王将の看板は、まずその色遣いに度肝を抜かれる。
サイケデリックなのだ。
京都王将のデザインに準じているが、京都王将の看板は赤地に白抜きで「王将」、周りの《》は黄・オレンジ・黄緑という順番だ。しかし鹿児島王将は赤地に黄抜きで「王将」、《》は黄・黄緑・水色という順番の色遣いとなっている。この水色と黄緑の成分がサイケデリック感を醸し出していることは間違いない。
レトロな雰囲気は古き良き時代の餃子の王将を思わせる
鹿児島王将 中町店のメニュー。京都王将とは随分違う。
オーダーは自ら紙に書いて店員さんに渡すというシステムである。
ここ中町店は決して広くない。カウンターがメインで、壁側に座敷席が2組あるのみだ。
街の中華料理店、といった趣である。
座敷席がある所がとても「餃子の王将」らしいと思える。
その歴史は、餃子の王将からの暖簾分け
その座敷席に設置された鏡。この鏡に書かれた文字に注目だ。
京都セラミック 川内工場食堂
京都セラミック、つまり「京セラ」のこと。
川内工場とは鹿児島県内にある京セラの工場だ。
なぜここに京セラが!?ということであるが、これが鹿児島王将を語る上で外せない歴史の一部なのだ。
そもそも鹿児島王将とは何なのか?
それは、1978年、餃子の王将(京都王将)に勤務していた京セラの社長である稲盛和夫氏の弟の義弟が独立したいということで、稲盛和夫氏が餃子の王将社長に相談、快諾を得て、ここ鹿児島に「鹿児島王将株式会社」を設立、その1号店がここ中町店ということである。
つまり鹿児島王将は「餃子の王将」という店名使用許可を得つつも、王将フードサービスとは別の会社組織が運営しているものだ。そしてその誕生に際しては京セラの稲盛和夫氏が関わった歴史がある。餃子の王将(京都)から正式に暖簾分けしたのが鹿児島王将ということになる。
この寄贈された鏡は鹿児島王将の原点として、今でも大事にされているのだろう。ピカピカであった。
懐かしき餃子の味と、名物の黒酢タレ天津飯
鹿児島王将の餃子。
京都王将とも大阪王将ともまた全く違うように見える。
昭和時代の幼少の頃、親に連れられて入った餃子の王将で食べた餃子の味を、鮮明に思い出した。
今の餃子の王将の餃子の味ではない、懐かしくも趣深い味。あのテイストが鹿児島に残っていたとは。
鹿児島王将は、とりわけ天津飯が人気メニューとなっている。
ここの天津飯は黒酢タレで作られており、餃子の王将の天津飯とは全く異なるものだ。
鹿児島王将に行った時は、是非とも天津飯も味わってみて欲しい。
遠い異国の地で日本の情緒に出会ったときの不思議な感覚にも似たような、東京からはるばる飛行機と高速バスを乗り継いだ先の鹿児島で出会った「昔の餃子の王将」のテイスト。そして黒酢タレの天津飯の味。
もう一つの「餃子の王将」。それが鹿児島王将である。