異文化華やかな横浜のカツレツを今に伝える店
昭和2年、横浜にて創業したカツレツの店、それがこの「勝烈庵」。
外国人居留区であった関内で親しまれていたカツレツを和風にアレンジして提供する店としてスタートし、1世紀近い年月を数えている。
その勝烈庵の本店は、横浜にある「馬車道総本店」だ。
地下鉄みなとみらい線馬車道駅から徒歩5分、関内駅からも徒歩5分のところにある白い建物が、勝烈庵 馬車道総本店だ。
ここが勝烈庵の本店であることを示すシンボルたち。
店の前にある「ハマの街灯 点火の地」の石碑。
1890年、横浜に建設された火力発電所から送電され、横浜市内の約700の電灯と街灯が一斉に点灯されたことを記念して建てられた碑とのことだ。
そしてもう片方には「六道の辻通り」の石碑。
こちらは1999年に建ったという新しめの石碑で、通りの名前とのことだ。
勝烈庵 馬車道総本店の店舗はなかなか見るところがあって面白い。
これは創業50周年記念に作られたという、創業当時の勝烈庵の木彫り細工。
これが作れた時は1976年とのことで、すでにビンテージだ。
勝烈庵の「○勝」マークも。
これは創業75周年記念とのこと。
もうすぐ迎える創業100周年には何が加わるのだろうか。
創業100年の老舗とんかつ店
勝烈庵 馬車道総本店は昭和2年、今よりも関内駅に近い真砂町にて創業した。
創業者である故・小澤竹蔵氏は海外でのビジネス経験豊富なビジネスマンだったが、東京で食べたカツレツがあまり美味しくなかったという。
もっとこうすれば美味しくなるのに…と自ら「豚のヒレ肉の筋を切り四角く整形する調理法」を考案し、横浜の地に店舗をオープンさせた。それが勝烈庵の始まりである。
その名前の由来は、「カツレツ」はフランス料理の「コートレット(côtelette)」、つまり「包んで揚げる」に由来する。それを日本語の漢字を当て、「商売をするからには烈しく勝たなければいけない」という意味での「勝烈」、そして引退したものを最後に入る場所としての「庵」を組み合わせた店名になったのだという。
店舗は戦争で一旦閉店してしまうが、戦後の1956年、初代の志を継いだ2代目の藩主が横浜駅西口の横浜駅名店街(現在の相鉄ジョイナス)で店舗を再開する。
その後、現在の総本店の裏手の場所に総本店を構え、後年になって現在(隣)の場所に移転したのが馬車道総本店だ。
ゆったりとした時間が流れるアート空間
勝烈庵 馬車道総本店は3階建てとなっており、1階はカウンター席中心、2階と3階は宴会にも対応できるフロア構成になっており、全体的に余裕のある空間となっている。
1階のカウンター席は目の前でヒレカツが調理されていく様子が楽しめる。
勝烈庵には版画家の棟方志功氏の作品が多数展示されている。
勝烈庵の文字も棟方志功氏によるものだ。
これも棟方志功氏による作品。
勝烈庵 馬車道総本店のグランドメニュー。
まずは勝烈庵の説明から始まる。
今回は伝統の「勝烈定食」をいただこう。
箸、お手拭きともに勝烈庵のシグネチャーモデルだ。
サクサクのカツと独特のソースが癖になる
しばらくして運ばれてきた「勝烈定食」120g。
中身はヒレカツだ。
衣はサクサクで、ヒレは柔らかく、とても食べやすい。
そしてあらかじめ8等分されていることが勝烈庵の特徴だ。
食べ方は勝烈庵のオリジナルポン酢、ソース(甘口)、そしてここに出ていないが辛口のソースもある。
勝烈庵のソースはカツがヒタヒタになるくらいかける人が続出するほど人気のものだ。
個人的にはポン酢が好みだった。それも少なめにして、豚肉の旨味を極力マスクさせないような食べ方が好みである。
ご飯とキャベツはおかわり自由となっている。
中華街のイメージから中華料理店の多い印象のある横浜だが、洋食文化による肉料理もかなり充実している。
その中でも昭和2年創業の老舗「勝烈庵」は、今日も創業当時のカツレツの味を現代に伝えていた。