日本のファストフード史に残る店補
世界広しといえど「マクドナルド」を知らぬものはいない。名実ともにファストフードの世界的スタンダードだ。
ビッグマックの値段が「ビッグマック指数」として国のインフレ度合いや物価の目安を指し示す経済用語になるくらい、マクドナルドはグローバルな存在であり、最も身近なアメリカだ。
そんなマクドナルドが日本に上陸したのは1971年のことだった。
場所は東京の一等地・銀座。その中でも三越といえば、最もステータスのある場所である。マクドナルドの日本第1号店は1971年7月20日、銀座・三越の1階に華々しくオープン。狭小なテイクアウト専門の店舗だったが、たちまち流行の最先端として大きなムーブメントを日本に起こす。
マクドナルドの1号店は、三越で営業中の店舗が日曜日の18時に閉店になってから、翌月曜日の休業日を挟み、火曜日の朝までに全てを作りあげるという39時間の突貫工事が行われ、無事にオープンを果たした。
そこから、流行の最先端が生まれたのである。
その後、三越にあった店舗は三越との店舗契約が切れ、移転したのがこの「銀座晴海通り店」だ。
※この店舗は2007年に閉店しました。
ビルの外観はキーボードをあしらったデザインとなっている。
なおこの1号店のオープン4日後にオープンした2号店である代々木店が、現在では最も古い店舗となっている。
入り口にはこんなプレートが掲げてあった。
「マクドナルドハンバーガー 発祥の地 1971.7.20」と!
1号店だった銀座店に掲げられていたものが、ここに移されていた。
ちなみに現在は本社の社長室に保存してあるという話だ。
日本マクドナルド創業者である藤田田氏は当時、「日本人の髪の毛を金髪にしてみせる」と言い切った。
その第一歩が銀座だった。藤田田氏の創業の熱を感じる。
晴海通り店のカウンター。
店内に掲げられたパネルは、創業当時の三越1階での店舗時代。
大勢の若者が、まだ珍しい「ハンバーガー」を求めて長蛇の列を成している様子だ。
日本の外食ビッグバンとなった大阪万博からたった1年後の出来事である。
これが1号店のビッグマックのバリューセット。
今でも高い品質管理基準を持ち、安く手軽にハンバーガーを提供し続けるマクドナルド。
もはや世界中に星の数ほどある全ての店舗で均一のサービス水準を維持し続けるのは、大阪万博が掲げたテーマ「人類の進歩と調和」を体現しているかのようだ。